福岡県大牟田市の寺沢一平さん(50)=本名・寺田元治=が、長年の夢だったプロのロックシンガーを目指し、レコーディングをしている。一度は夢 をあきらめ、古里で母をみとった後、交通事故で〓死(ひんし)の重傷を負った。幾多の苦境を乗り越え、「人生一度きり」と思い立った。自らつけたキャッチ コピーは「50歳の挑戦。絶望者の希望を歌う」だ。
寺沢さんは、鹿児島ラ・サール高から慶大へ進み、オーディオメーカー「パイオニア」に入社した。趣味でやっていたロックバンドが人気となり退社したが、デビューできず、結局87年、NECグループのレコード会社を設立して、プロデューサーになった。
ところが、心血を注いだ会社は親会社の都合で98年解散。残務整理を終え、00年に母さわさんの介護のため帰郷。塾講師や家庭教師、ライターなど を掛け持ちしながら看病を続け4年、さわさんは75歳で亡くなった。その半年後の04年10月、今度は大牟田市内で車にはねられ、一時意識不明の重体に。 肋骨(ろっこつ)8本と両腕、右足を骨折、肺も傷つき、肺活量は普通の大人より少なくなった。
苦境の日々の中、夢が再び膨らみ始めた。「人生一度なら『何があってもあきらめない』というメッセージを自分の歌で表現したい」。独身。貯金の300万円を元手に昨年8月、福岡県新宮町のスタジオでレコーディングを始めた。
かつて育てたバンドやアーティストが未発表曲を約10曲提供してくれた。スタジオに出入りするミュージシャンに演奏を頼み、声のトレーニングを続けながらデモCD作りに励む。今春にはライブを開き、業界の知人にも売り込むという。
寺沢さんは「生きた証しとして歌を残したい。あきらめない姿が同世代の励みになれば」と話している。
【長谷川容子】
毎日新聞九州版:2008年1月7日